境内で栽培していますひょうたんです。
日本書紀に記されている
茨田連衫子のヒサゴの物語
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ヒョウタンの原産地はアフリカで、人類がアフリカを旅立ち、世界中へと散らばっていくのにあわせて、全世界に広がったとされ、日本列島にも約9,600年前に伝わった痕跡が遺跡から出土しています。竹と並び、容器や楽器、漁具や装身具など、世界中の人々に長く使用されてきた身近な、そして最古の栽培植物の一つです。
世界中の神話を見ると宇宙や人間を生み出した始原の存在という位置づけをされることが多いようです。中国や朝鮮半島では人類ヒョウタン起源譚もあります。
また古神道では、ひょうたんは生命の壺、すなわち母胎 (胎蔵)を表し、生命活動の永遠性と、完全無欠の宇宙を象徴するとされています。
わが国では『ヒサゴ』または『ふくべ』ともいわれヒョウタンからさまざまな財宝やおいしいものなどの福が飛び出すという幸福や成功招来の縁起物と伝わっています。
堤根神社とひょうたんの関わりは神社の起源である仁徳天皇の御代に築かれた茨田堤まで遡ります。茨田堤築堤については日本書紀にも記されているお話ですが、ここにひょうたんが登場します。
日本書紀に示される
『ひょうたんの伝承』
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そもそも茨田堤は、洪水や高潮を防止するため、淀川(当時の「北の河」)に築かれた堤防です。とはいえ、その築堤までの道のりは、とても険しいものでした。なぜなら、二つのつなぎ目を繋ぐことがとても難しかったからです。
そして、なかなか繋がらない切れ目に悩まされた仁徳天皇は、ある日の夢でこのような神のお告げを耳にしました。
「武蔵人 強頸(こわくび)と河内人 茨田連衫子(まんだむらじころものこ)の二人を、川の神に供える“人柱”とすること」
つまり、二人の命を差し出し、川の水をせき止めろという何とも厳しいお告げでした。
そして神のお知らせで名が挙がった二人のうち、強頸はお告げを信じ“人柱”となり、一つ目の堤がつながることに。一方、もう一人の茨田連衫子は、自らの知恵で人柱となることを防ぎました。
「私は、二つのひょうたん(ひさご)を持ってきた。私を望む神が真の神であれば、川に流したこのひょうたんは水に沈んでしまうことだろう。偽りの神であれば、ひょうたんは川に流れ浮かび、私は人柱になることができない」
こう語った衫子が川にひょうたんを流すと、急に旋風が……ここでひょうたんは沈むかと思われましたが、なんと、ひょうたんはすぐに浮かび、川を流れていったのです。
とはいえ、現代の知恵で考えても、そもそも「ひょうたん」は浮力があるため、沈むことはないとされています。しかし、神の力があれば沈ませることも難しいことではなかったはず。つまり衫子は、ひょうたんの知恵を用いただけではなく、そのひょうたんに祈りを捧げたことで神様にその想いが伝わり、困難を乗り越えることができたのではないでしょうか。そう。衫子は、今後も広がり続ける人々の未来に向け、ゆうきとひかりを授けたのです。
堤根神社と共に人々と神様をつなぐ
『浮かびひょうたん』
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こうして、茨田連衫子が神に祈りの想いを届けた浮かびひょうたんの伝承を持つこの地は、堤根神社となり、人生儀礼・厄除け・家内安全・合格祈願など、年間を通して多くの方があらゆる願いを胸にご参拝される地になりました。勇気ある茨田連衫子が現世に伝えた“浮かびひょうたん”。この先人が信じ救われた神様に、あなたの願いと想いをお伝えください。そして、ご参拝頂いた皆様にとって、堤根神社とのご縁が素敵なものになりますように。当社からも願いを込めながら、日々この地域を守る氏神様と共に皆様の幸せを祈念しております。
浮かび上がりのひょうたん
~神様との心の絆
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沈むことが無いと言われるひょうたん。
浮かび上がる『浮かびひょうたん』として衫子が祈りを捧げ、決して怯まず困難に立ち向かった事のように、神様とご縁を結ばれ、神様のお知恵を頂き、それぞれの想いが浮かび上がり、その願いが実るように。特別のしるしとしてお守り、絵馬にひょうたんを描いています。